「あれ? 順平君、お出かけ?」
「ん。ちょっと、な」
 風花の問いかけに答え、外に出ようとした順平は、ふと思い出したように立ち止まり振り返った。
「そういやさ、風花って写真部だったよな? カメラ、貸してくんね?」
「え? 別にいいけれど……なんで?」
「ちょっと……な」


オモイ、ヤクソク


 厳戸台の駅から、電車に乗ってポートアイランド駅へと彼は向かう。そして降りてすぐ、花壇の前からの風景を一枚、彼は写真に収めた。
 それはいつか、チドリが見て、絵にしていた光景。出会いの場所に来て、懐かしさだけではない感情にうずく心を抑え、順平はまた歩き出す。
 向かう先は、川べりの道。そこに並んだ桜の花は、もうすぐ満開になって花びらの嵐を吹かせることだろう。

 まだ七分咲きといったところの桜を見上げて、順平はシャッターを切った。
 カシャッ、という音が心地良い。
 今時の高校生が持つにしては珍しい、フィルムを使うカメラ。素人には難しいかも、と風花はデジカメを勧めてきたのだが、一目見て順平はこちらの方が気に入ってしまったのだ。
 一度、写したら撮り直しがきかない。その緊張感を味わいたかったのかもしれなかった。
 実際、風花に一通り扱いを教わったとはいえ、まだその手はぎこちない。もっとも、本格的な写真を撮ろうというわけではないから、別にそれでも構わないと彼は思っている。
 一通り、気に入った風景を写しながら、ゆっくりと歩く。河川敷のグラウンドでは少年達が、真白なユニホームを黒く汚しながら、野球に興じていた。

 ブラブラと回った後、一本の桜の木の下に順平は腰を下ろす。見上げれば桜の枝、そこに散りばめられた可憐な薄桃色。その向こうには遠く青い空と、駆けて行く白い雲。
 カメラを掲げて、また一枚。
 思うことは一つ。
 この風景をチドリが見たら、どんな絵を描いたのだろうということ。


「俺の通う学校から、ちょっと歩いた川沿いにさ、すんげー綺麗な桜が咲く道があるんだ」
 病室のベッドの上に横たわるチドリに、順平は熱っぽく語っていた。
「桜が?」
 小首を傾げる彼女に、ああ、と彼は頷く。
「そう。ああいうの、桜並木、っつぅんだろうな。道の両側に桜が植えられててさ、春になったら花びらがフワフワ舞い散るわけ。それがまぁ、俺みたいなのが言うのもおかしいけど、すっごい綺麗でさ。それをチドリ……にも見せたいなー、って」
 一緒に見たい。そう言いたかたったのに果たせず、ほんの少し、順平は自分の不甲斐なさにへこんだ。だがチドリは、そんな彼の内心に気付くことなく、
「うん、そうだね。見れるといいね――――ジュンペーと、見に行きたいな」
 そう言って彼女が浮かべた笑顔に、彼は心を奪われる。初めて見る、透き通った笑顔。それは悲しみも絶望もなく、ただ穏やかで、優しくて。
「うしっ、じゃあ連れてってやるぜ。約束だからな、チドリ」
「……うん、約束」
 ほんの一瞬、チドリは目を伏せたけれど、それでも。
 彼が差し出した小指に、自分のそれを絡めて指きりをしたのだった。


 なぁ、チドリ。俺は約束、守れてるか?
 順平は自分に問いかける。
 あの直後から、チドリの態度は急変した。会いたくない、と拒絶され、ショックを受けたことを思い出す。
 そして不可解な時を過ごし、仲直りのきっかけを失ったまま、別れの時を迎えてしまった。
 左手で胸を抑える。ドクンドクンと心臓が震えている。
 それはチドリが最後に聞いた音。
 チドリがくれた命の鼓動。

 ニュクスの訪れを聞かされ、絶対の死、その恐怖を順平も味わった。そしてようやく、チドリが感じていた絶望を知ることが出来た。
 それでも自分が打ち勝てたのは、チドリがいたからだ。彼はそう思う。
 彼女からもらった命、大切にしなければならないとわかっている。
 だが人はいずれ死ぬ。ならばその生の中で、何を残していけばいいのか。
 それを考えた時に、順平は、戦おうと心に決めた。
 自分に何が出来るかわからない。ただ、ここで逃げてしまっては、いつかチドリに会う日が来た時、顔を真っ直ぐに見られないような気がしたのだ。
 胸を張って彼女に会うために。託された命を、精一杯燃やし尽くしたと言えるように。
 だから彼は戦い、そして勝った。
 ニュクスに。そして自らの心の中の絶望に。

 けど、な。
 順平は小さく苦笑する。
 俺、気付くのが遅すぎたよな。もっと早くこれに気付いてりゃ、俺がチドリを支えてやることだって、出来たかもしんねぇのに。
 そう思うのは間違ってる。わかっていても、彼は考えてしまう。自分がもっと強ければ、今もチドリは自分の隣にいたかもしれないのに、と。
 結局、助けられてばっかりだな。俺……カッコ悪いなぁ。


 そんなことないよ。
 チドリの声がした。
 私、ジュンペーに会えて良かったもの。ジュンペーに助けられたから、私、生まれて良かったって思えたんだもの。
 そう言って、彼女は笑う。
 いつかのように優しく、穏やかで、透き通った笑顔で。


 はっ、と目を開ける。
 いつの間にか、まどろんでいたらしい。
 夢だったのか、と彼は脱力する。
 自分の中のチドリが見せたものなのか。それとも自分の願望なのか。
 そんなことを一瞬、思いもしたが、何となく前者のように彼は思った。そう思えたのはきっと、別れ際の彼女が、自分が死ぬとわかってても幸せそうだったからだ。
 いつか自分も死ぬ。その時には、あんな風に笑って死にたい。そう思えた。


 もう一度、カメラを手に取って、座ったまま桜並木を撮る。
 果たされなかった約束。だがこうしてここにいると、チドリの存在を隣に感じられて。
 なぁ、チドリ。
 俺はあのスケッチブックの中の俺みたく、カッコ良くなれたかな。
 問いかけは、一片の花びらを乗せた風に流されて、空に消える。
 順平は桜の木にその上体を預けて、帽子を目深に被った。

 その姿は、早春の陽気にまどろんでいるようにも、あるいは、大切な人を偲んで流す涙を隠しているようにも見えたのだった。


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